七夕にそうめんを食べる由来とは?簡単に意味をまとめ6つ

七夕の行事食と言えばそうめんですが、実際はあまり知られていません。一部の地域での風習があるだけかと思いきや、日本では1000年もの前の平安時代に始まった歴史的な文化だったのです。遥か昔過ぎて驚きですが、その由来とは何だったのでしょうか?遡ってそうめんのルーツを辿ってみましょう。

 

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そうめんは日本で生まれたもの?そうめんのルーツを知りたい!

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そうめんのルーツは中国から伝来してきた「索餅」(さくべい)という小麦粉と米粉を混ぜて作る麺料理であったと言われています。「索」という言葉には縄をあむとという意味があって、索餅は縄をあんだ小麦粉のお菓子のようなものと伝えられています。現在のそうめんのように油を使って手のべにした細い麺ではなく、うどんよりも太い麺でした。当時はこの索餅を醤油や酢につけて食べていたようです。

さてこの索餅ですが、古代中国で「索餅をお供えすると疫病にかからない」という伝説があります。7月7日に帝の子が亡くなって、霊鬼神となって町にマラリア性の熱病を流行らせました。そこでその子の好物であった索餅をお供えしたところ、疫病がピタリと収まったのです。それ以来無病息災を願って毎年7月7日に索餅をお供えするようになったようです。それからその言い伝えと共に索餅が日本に伝えられました。

その後の927年に宮中の作法と儀式を記した法典、延喜式の中で「七夕にそうめんをお供えすること」と定められました。日本でも「索餅を供えると1年間病気にならず健康でいられる」という中国の言い伝えにあやかって、広まったと言われています。それがいつからか、そうめんという形に変化をしながら今では七夕の行事食として食べられるようになったのです。

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他にもそうめんに諸説はあるの?

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中国から伝来してきた説が有力であると言われていますが、他にも諸説は複数あるようです。ではそれらの諸説を探っていきましょう。

①機織りの上達を願うもの

元々七夕には着物を織る技術の上達を願うお祭りが行われてきました。そうめんは白い糸によく似ていますが、機織りとの関係に結びつけてそうめんを食べる風習が始まったという説があります。

②天の川や織姫の織り糸に見立てている

そうめんをまとめている状態を天の川や織姫の織り糸に見立てて、七夕にそうめんを食べるという説があります。最近では行事食で人参を星形に型どったものやオクラを星に見立てたりして、楽しんでいるようです。

③食欲がなくなりやすい夏を乗り越えるため

暑い夏には何も食べたくないという夏バテに陥ることがあります。そうめんならさらっと入って、暑い夏を乗り越える体力をつけようということで、夏にはそうめんを食べる定番になりました。そうめんはそれだけでもいいですが、薬味や冷や汁と食べると格別に美味しく栄養価もアップするので、地域によっては色々な食べ方があるようです。

④小麦の収穫を神様にお伝えする

お米の収穫を神様に感謝するお祭りがありますが、そうめんでもそのような祭りがある地域もあるようです。そうめんをお供えし豊作に感謝して、みんなで食べるという風習です。

⑤恋愛運が上がる

諸説ではありますが、織姫と彦星にかけてそうめんを食べることで恋愛運を上げるという話もあるようです。二人は遠距離でありながら、いつまでもお互いを想い合う強い絆で結ばれていることから、こんな説も出てきたのかもしれません。

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七夕は正真正銘、そうめんを食べる日

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これらの複数の説があって七夕とそうめんには深い関係があることから、全国乾麺協同組合連合会によって7月7日を「七夕・そうめんの日」として認定されました。七夕は正真正銘のそうめんを食べる日となって、正式な行事食として認められたわけです。この日はスーパーなどで七夕そうめんフェアとして売り出している光景が見られるでしょう。

 

また、七夕に関する歴史的な由来や各地で行なわれる最新のイベント情報については、こちらに詳しくまとめていますのでぜひご参考ください。

→【七夕にまつわる様々な由来と、全国で開催されるイベント情報

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